Barry Bostwick's
Barry Bostwick Stage Profile プロフィール


 (英語版ではキャリア以外のプライベートなことに触れないようにしているのですが、日本ではほとんど
  知られていないと思いますので、私の知っている範囲でですが、載せることにしました。もしかしたら
  間違い・勘違いも多々あるかも知れませんが、その都度加筆訂正することにします。)

誕生日  1945年(確認済!)2月24日
出身地  アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンマテオ
身長  193cm(6フィート4インチ)
目の色  ブルー
髪の色  もとは ダークブロンド   今は 銀髪
靴のサイズ  11(29cm) 身長からすると普通?
学歴  カリフォルニア・ウェスタン大学(現ユナイテッド・ステーツ・
 インターナショナル大学)
卒業 
 ニューヨーク大学 大学院 中退 演劇専攻 
〜 略歴 〜
本人曰く、『古き良きサンフランシスコ家庭』に、両親、4〜5歳上の兄のもと生まれる。
父親は市の仕事をして市の発展に尽くした人物で、亡なくなった時には地元紙に長い死亡記事が掲載された。
バリーさんがTVでワシントン大統領を演じた時は、「アメリカ大統領の父親になったよ」とうれしそうに
語っていたそう。母親は専業主婦。お二人は父親が亡くなるまで59年間、仲良く連れ添う。
バリー・ボストウィックは本名(フルネームは『バリー・ナップ・ボストウィック』)。
若い頃俳優志望だった両親(因みに父親は定年退職後、俳優組合に加入してデビュー。CMなどに出演)
は兄弟を「クリエイティブであれ」と育てる。9歳で兄とともに人形劇を作って出演。12歳では友達と
フォークソング・グループを結成して学校やYMCAのダンスパーティーで活躍し、タレント・コンテスト
荒らしとなる。
スポーツ万能だった彼は、高校生になるとスポーツに熱中。水泳の州代表選手になるが、足首の骨折を
きっかけにまたパファーミング・アーツに関心が戻り、2年生の時にアマチュア演劇で初舞台。
(ウェンディという女の子に恋をして、彼女に誘われたため。)それ以降、本気でショー・ビジネスを
目指すことになる。
大学では演劇を専攻し、演技、歌、バレエ、ジャグリング、アクロバット等のトレーニングを受け、
大学2年、18歳の時にプロとして初舞台を踏む。演劇以外にもバレエ・カンパニーで踊ったり、
パフォーマンス・グループとナイトクラブに出演など、学業と並行して続ける。
大学卒業後は、プロの劇団からの正団員の誘いを断ってニューヨーク大学大学院に進学。演劇の勉強を
続け、サーカス・アーツの訓練、実験的ストリート・パフォーマンスの実習などもして過ごすが、
オフ・ブロードウェイでの仕事が増えたため、大学院を中退して本格的にプロの俳優・パフォーマー
としての道を歩むことになった。

★★ 「ロッキー・ホラー・ショー」について ★★
25周年記念版2枚組みDVD、『プレミアム・エディション』の特典映像に含まれているインタヴュー
では、この作品撮影時の話で、「『サウンド・オブ・ミュージック』みたいな普通のミュージカルだと
思ってた」と語っていますが、これはもちろんインタヴュアーと視聴者を楽しませるためのジョーク。
実際には、映画化前の、LA、ロキシーでの上演を何度も観ているので、これがどんな作品か、ブラッド役
をやることはコルセットに網タイツ、ハイヒール姿になることだということも当然知っていた。その時の
エピソードとして、開演前にキャストが客席に入って観客を盛り上げてる時に、ロッキー役のキム・ミル
フォードがやって来て、バリーさんのつま先を吸い始めた時には、「こりゃ面白い夜になりそうだ!」と
思ったそう。さらに「自分はオフ・オフ・ブロードウェイ出身だから、『ロッキー・・・』はそんなにヘンな
ものだとは思わなかった。(ブラッドという)カタブツな人間を演じたかも知れないけど、自分自身は
そういうタイプだったことは一度もないんだよ。」とも語っている。
「ロッキ・ホラー・・・」は作品としてもとても好きで、自分の子供達がもう少し大きくなったら是非一緒に
観に行きたいそう。

〜 パーソナル・ライフ 〜
恋愛関連では、1979年のインタヴューで「今までたくさんの女性と同棲したし、しょっちゅう
デートしている。」とマチネー・アイドルらしい(?)コメント。1972年頃には Jennifer
Nairn-Smith という恋多き女優さんの数多いボーイフレンドの一人だったりしたことも。
1973年の『グリース』出演中は共演の女優と恋人同士。1974年の『ロッキー・ホラー・
ショー』撮影中には、スーザン・サランドンとも少し付き合ったらしい。
1977年頃から1980年の恋人は女優のコンスタンス(コニー)・ファースランドで、やはり一緒に
住んでいた。1981年からは、女優で歌手のリサ・ハートマンと恋人同士だったが、互いの仕事が忙し
過ぎたたため、1984年に結婚に至らず破局。因みにコニーさんとリサさんは、驚くほどそっくりの
ブロンド美人。
プレイボーイだったという訳ではないようだが、結婚にはなぜか慎重だった。本人の弁によると、
「女性に対してプレッシャーをかけ過ぎてきた。」とのこと。
1987年に女優のステーシー・ネルキン(14歳年下・ものすごい美人!)と初の結婚をするも、
1991年離婚。この離婚については今でも語りたくないということで、かなり泥沼だったのかも・・・。
反対に、リサさんとは別れてからもいい友人同士のようで、この離婚後の独身時代、一緒にパーティに
出席したりもしている。(ヨリを戻したと言うのではなく。)
1992年に、あるパーティーでセミプロ女優のシェリ・エレンさん(17歳年下)と知り合い、
1994年結婚(再婚同士)。翌年には長男ブライアン君が誕生し、50歳過ぎて初のパパになる。
(と言うことはやはり1945年生まれ?)またその翌年1996年には長女チェルシーちゃんも
生まれ、今も幸せに家族4人でニューヨーク郊外の高級住宅地の19世紀の農家を改造した家に
暮らしている。

〜 人柄 〜 (ここからいきなり「ですます調」にします;;;)
それ以外の素顔では、趣味はアンティーク、瞑想、陶芸、料理、ガーデニング、(若い頃の趣味には
世界中を旅するというのもあり)といたって穏やか。実際、とてもやさしくて穏やかで家庭的な人柄
で、奥様が怒っていてもなだめられてしまってケンカにならないそうです。
これは、私の最初の印象とは正反対でした。私の先入観に過ぎないのですが、その外見から「軽薄で
遊び好きで、外国文化に興味のない典型的アメリカ〜ンな人だろう」と思っていました(反省)。
若い頃住んでいたニューヨークのアパートも、19世紀の娼家だったところを「友人達と恋人達の協力
で」田舎家風に改装したもの。また、信者になったことはないものの、若い頃から精神世界に
惹かれていて、海外の聖地を訪ねたりしています。特に日本文化の影響は当時から強く受けており、
陶芸も日本風(プロ並の腕前で、ギャラリーで販売されていたそう)、今の奥様との結婚式も故郷サン
マテオの日本庭園で挙げ、禅の瞑想を実践しているそうです。
これは日本に住む私にはうれしい話ですが、日本に来たことがあるのかどうかは今のところ不明。
(きっとあるのでしょうね。)

この内面性は、1973年にたった一人の兄弟であるお兄さんを交通事故で亡くしたことが大きいの
ではないかと思います。やはり私の勝手な推測ですが。
お兄さんはわずか32歳で、お子さんも二人いました。その時バリーさんはまだ『グリース』の舞台に
出演中だったはずなので、その心中は察するに余りあります。
1979年の複数のインタヴューでも「自分は一人っ子」と答えているので、まだお兄さんを亡くした
悲しみを乗り越えていなかったことが感じられて、胸が詰まります。
また、やはり当時の記事によると、1970年頃までは活動的だったけれど、ある時を境に生活が一変
して、今はたまに映画を観に行く以外はほとんど外出もしない、とも語っています。

また「スターの座」というものにも割と無頓着で(もちろん10代の頃は大スターを夢見たりもし
た)、「以前は仕事によって自分を評価しがちだったけれど、人間として豊かになることの方が大切」、
「幻想は抱いていない。今までほとんど俳優の仕事だけで食べて来られただけですごくラッキー。」と
語り、当時は映画『ブルックリン物語』でとても高い評価を受けて「ハリウッドの将来の大事な財産」
とも評され、出演依頼が殺到していたにもかかわらず、「今ひとつ興味のある役がなくて。自分のやり
たくない仕事で売れっ子になるより、出ないでいた方がいい。」の姿勢。
それが俳優という仕事についての深い洞察と真摯さから導き出された結果だったことは、Actors Talk
という本でバリーさんのインタヴューを読んで納得しました。

役を演じるに当たっては、参考文献をたくさん読んで、深くリサーチするタイプです。

1997年に発熱のため検査を受けたところ前立腺ガンが発見され、10日後に手術。幸い初期で、
その後再発もなく、2006年にはめでたくリスクフリーとなりますが、この経験でいっそう家庭と
私生活を大切にするようになります。また、デリケートな病気だけに検査を受けたがらず手遅れ
になる男性が少なくないことに心を痛め、性生活に関する不安などもオープンにユーモアを交えて
自分の経験を語り、積極的に検査を促す活動をしています。その功績に対し、1998年にアメリカ・
ガン協会から Courage Award (勇敢賞)を贈られ、クリントン大統領じきじきに表彰されました。
また2004年には国立のガン研究所であるRoswell Park Cancer Institute からの Gilda Radner
Courage Award (ギルダ・ラドナー記念勇敢賞)を受賞しています。

昨年2006年のインタヴューでは、「ショー・ビジネスに捧げた我が人生に悔いなし。自分は
成績の悪い学生で、他に取り柄はなかったし。」と、また謙虚なところを見せながらも現在の充実した
心境を語っているのです。

ただ、やはりファンとしては、謙虚さを一度脱ぎ捨てて、今からもう一度すっごく貪欲になって、
もう一花咲かせてくれることを期待しています。いや、そう言うより、今までやったことのないタイプ
の役をどんどんやって、また新しい顔を見せて欲しい。まだ62歳!ハリソン・フォードより若いの
だし、60代後半でキャリアのピークに達する人もいるのですから!!
まだまだこれから!私は期待&応援しています!!!!!
 
 ★ 私が考えるバリーさんの魅力など、こちらにアップしました。
よろしかったら読んでやって下さい・・・   読んであげる  



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Barry Bostwick Brilliant!